輝かしい栄光と同時に、数えきれない挫折をくぐり抜けてきた不屈のレーサー、鶴田竜二。
1984年ロードレースデビュー。1990年には全日本ロードレース選手権TT-F3クラスでカワサキ初となるシリーズチャンピオンを獲得。その後、自身のチームである『TRICK☆STAR RACING』を結成し監督兼ライダーとしてレースに参戦。2010年以降は監督に専念しチームをまとめた。2023年「Kawasaki Webike Trickstar」の監督に就任しFIM 世界耐久選手権(EWC)に参戦、世界を相手に奮闘中。
レースのコンセプトは『勝ちに拘ったレース』『憧れるカッコいいレース』『次世代に繋げるレース』。
その他、二輪車の販売や各種サービス、オリジナルパーツの開発等を通じて、二輪業界をさらに盛り上げていきます。
83年 | 鈴鹿200kmレース併催ノービスSSクラスでデビューを果たす。当時エントリー台数が500台を超える中予選11位で通過、決勝は雨のレースで2周目に転倒リタイアとなった。 |
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84年 | 当時人気があったTV番組『Do!スポーツ』の企画で、タレント清水国明氏と4時間耐久レースにペアを組んで出場。一時は予選落ちするも2時間耐久レースで2位になり、敗者復活し見事4耐出場を果たす。決勝は清水氏転倒による負傷のためリタイアに終わる。 |
85年 | ジュニアクラスに昇格し、清水国明氏のチーム国武舞レーシングに所属し活動をはじめる。88年まで全日本選手権併催ジュニアF3クラスにエントリーし、全国のサーキットを転戦する。 |
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89年 | カワサキメーカー系チームであるチームグリーンにオーディションの末契約にいたる。当時チームメイトの北川圭一とライバル関係になり凌ぎをけずった。同年に行われた鈴鹿6時間耐久レースにて二人でペアを組み見事優勝する。 |
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90年 | 国際A級に昇格、チームグリーンからF3クラスに参戦し、見事にシリーズチャンピオンを獲得しカワサキ国内初のタイトルをもたらした。 |
91年 | F-1クラスに参戦。チームメイト北川と切磋琢磨し鈴鹿8時間耐久レースでは国内選手最高位である4位入賞を果たす。またパシフィック選手権に参戦し海外のレースにも挑みランキング2位を獲得する。 |
92年 | 色んなチームやメーカーからオファーが入り、HONDAのサテライトチーム『スクーデリア奥村』に移籍。国内最高峰であるGP500に参戦する。同年鈴鹿8時間耐久レースに元ワールドチャンピオン『フレディースペンサー』とペアを組み、お互い1回ずつ転倒をするも4位入賞を果たした。 |
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93年 | 国内GP500に参戦するも思うようなライディングができず、結果も振るわずシーズン途中でチームを去る。初めて挫折を味わった鶴田はとにかく苦しみ抜いた。そして理想のライディングを身に付けるため、ダートトラックやオフロードなどの基本的なトレーニングに没頭し続けた。 |
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94年 | 再びカワサキのサテライトチームに戻り全日本スーパーバイククラスに参戦する。 |
96年 | タレント岩城晃一氏のチーム『K'Sガレージ』に所属。 |
97年 | 全日本チームで条件が合わず、活動の場所を筑波や鈴鹿で行われていた草レースに変える。『チームYELLOW CORN』からGPZ900Rで参戦。ここでレースの原点に気付き、メンタル面や技術面で大きく成長する。 |
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98年 | 住まいを横浜に移し『チームYELLOW CORN』から全日本Xフォーミュラークラスに参戦。同時に(株)イエローコーンで企画室長兼ハードパーツ開発部に籍を置き、業務に従事しながらレース活動を続ける。 |
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99年 | ヨシムラとモリワキと、三つ巴でチャンピオン争いをするも、惜しくもランキング2位となる。鈴鹿8耐を『チーム阪神ライディングスクール』から参戦、6位入賞を果たす。筑波『テイストオブフリーランス』レース参戦、優勝。 |
2000年 | 『チームYELLOW CORN』で3年目の参戦となり、遂にヨシムラ、モリワキを抑え念願の全日本Xフォーミュラークラスのチャンピオンを獲得する。これで国内ロードレース界に誰も果たしていないカワサキ車で二度目のタイトルを獲得した。同年鈴鹿8耐に『チーム阪神ライディングスクール』から参戦、5位入賞を果たす。また自身の『TRICK☆STAR RACING』チームを結成し、もてぎ7時間耐久レースに参戦し6位入賞を果たす。筑波『テイストオブフリーランス』レース参戦、優勝。 |
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2001年 | トゥルーブルーとして独立、同時にブランド『TRICK☆STAR』を設立。全日本選手権に『TRICK☆STAR RACING』としてST600クラスに参戦、ランキング5位。もてぎ7時間耐久レースに参戦し5位入賞を果たす。鈴鹿8耐に『チーム阪神ライディングスクール』から参戦、途中転倒し19位完走。全日本最終戦鈴鹿ラウンド『ヨシムラ』から参戦、7位入賞。筑波『テイストオブフリーランス』レース参戦、優勝。 |
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2002年 | 全日本選手権SBKクラスに『チーム阪神ライディングスクール』からスポット参戦。『TRICK☆STAR RACING』としてST600クラスにスポット参戦、ランキング21位。鈴鹿8耐に『チーム阪神ライディングスクール』から参戦。予選8番手で通過するも途中転倒リタイアとなる。もてぎ7時間耐久レースに参戦。途中トップ争いに加わるが転倒し、44位完走となる。筑波『グランドスラム』レースに参戦、4位入賞を果たす。筑波『テイストオブフリーランス』レース参戦、優勝。前人未踏の4連覇を達成する。 |
2003年 | 全日本選手権に『TRICK☆STAR RACING』としてST600クラスにフル参戦、ランキング7位獲得。鈴鹿8耐に『モリワキレーシング』から参戦し12位完走。筑波3時間耐久レースに参戦、予選1位、決勝5位入賞。 |
2004年 | 全日本選手権に『TRICK☆STAR RACING』としてST600クラスにフル参戦、ランキング9位獲得。鈴鹿8耐に念願の自社チーム『TRICK☆STAR&阪神ライディングスクールレーシング』として初参戦する。途中転倒48位完走。筑波3時間耐久レースに参戦、予選4位、決勝6位入賞。 |
2005年 | 全日本選手権に『TRICK☆STAR&MAX-SPEEDレーシング』としてST600クラスにフル参戦、ランキング10位獲得。鈴鹿8耐に『TRICK☆STAR&B-LINEレーシング』として参戦。途中転倒42位完走。 |
2006年 | 『TRICK☆STAR&MAX-SPEEDレーシング』としてST600クラスにスポット参戦、ランキング19位獲得。鈴鹿8耐に『TRICK☆STAR RACING』として松戸直樹を起用し参戦。クラス3位、総合8位入賞を果たす。 |
2007年 | 『TRICK☆STAR RACING』としてST600クラスにスポット参戦、ランキング17位獲得。鈴鹿8耐に『TRICK☆STAR RACING』として参戦、13位入賞を果たす。 |
2008年 | 鈴鹿8耐に『TRICK☆STAR RACING』として武石伸也を起用し参戦。途中転倒も15位入賞。 |
2016年 | アジアロードレース選手権に『TRICK STAR Racing』として参戦(マレーシア 7位、タイランド 優勝、日本 2位、インドネシア 2位、インド リタイヤ、タイランド 2位)。 |
2017年 | FIM世界耐久選手権シリーズに『EVA RT TEST TYPE-01 TRICK STAR』として参戦(ルドール24 3位、ルマン24h 12位、オッシャースレーベン8h DNF、スロバキアリンク8h 20位、鈴鹿8h 14位)。 |
2018年 | 全日本ロードレース選手権 併催 MFJ CUP JP250に『Webike TRICK STAR RACING 』として参戦(もてぎ 7位、筑波2レース 11位・12位、岡山 2位)。 |
2019年 | FIM世界耐久選手権シリーズに『Webike Tati team TRICK STAR』として参戦(ルドール24 2位、ルマン24h 27位、スロバキアリンク8h 18位、オッシャースレーベン8h 7位、鈴鹿8h 48位)。 |
2022年 | 鈴鹿8耐に『EVA RT 01 Webike TRICKSTAR Kawasaki』として参戦。マシントラブルにより41 位(未完走扱い)。 |
2023年 | FIM世界耐久選手権シリーズに『Team Kawasaki Webike Trickstar』として参戦(ルマン24h 9位、スパ24h 5位、鈴鹿8h 12位、)。 |